セクシャリティは無限大

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『子供』とアンセクと”恥”の概念

世の中には『童貞』・『処女』・『魔法使い』と性行為を経験していない状態を指す言葉もいくつか存在するし、場合によってはそれらには
「恥ずかしい」
という感覚が付随することもあるように思う。

また、『不妊』や『ED』等性行為や子供を出来ない・出来難い状態を指す言葉も世の中には存在してて、それらには大抵
『治療』
という言葉が殆どの場合後に続いたり”治療薬”が存在したり、上述のケースと同じように「恥」という観念が付随するケースもあるように思う。


特に子供云々でいえば、私が自認しているアンセクについて、セクの説明をした場合
「子供嫌いなの?」
と訊かれることが偶にある。

これについて私個人的にはただただ
『子供を作る行為』
が大嫌いなのであって、自分がその行為をする・しているということを想像できないし、想像しようとすると頭が拒否するのが大体において眠くなるか、酷い時は鳥肌というかさぶいぼが立つし、そもそも性行為をしたいという欲求は湧かないししたくないから、極論として逆に迫られたら多分全力で逃げたくなる位嫌。

ただし、だからと言って
「子供を作る行為が嫌い≒子供嫌い」
では決してなく、
「性行為・生殖行為はしたくない≠子供が嫌い・子供は作りたくない」
ではあると思うから、確かに不妊云々については(例え”性行為はしたくない”と思う方であっても)治療が必要だったり治療したいと思う方が居られても、そういうケースがあってもそれは当然だと思う。

ただ、全体を通して
「恥・恥ずかしい」
という概念・観念・感情が付随するケースが多いのは、やはり
「世の中全体が『性行為はして当たり前・性行為は万人が当然経験するもの』という認識を持っている」
からではないのかなと私個人的には思う。


だから世の中に対して開き直り、、、と言う訳じゃないけど、当人さえ良くて納得している状態、例えばアンセクのように
『交合行為・生殖行為を行う気が無い人・嫌いな人』
等であるのなら、(実際問題周囲から言われることが多いのだろうけれど)処女だの童貞だのどう呼ばれようとも気にしなくなるのだろうし、EDとか体質的なモノも気にしなくなる・気にしないですむんじゃないかなって思うけど、それでもやっぱり色々言ってきたりするのが”世の中”であって、世間体云々とかなんだろうなって思う。


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「アンセク」に合う人

 アンセクについて語っていたりすると、時々
『アンセクってどういう人と合うんですか?どういう人を好きになるんですか?』
みたいな質問を貰う事がある。

けれど、基本的にアンセクは「性指向」であって「恋愛指向」ではないから、アンセクが理由で誰かを好きになるっていう理由にはならないと思っているし、実際私がそんな感じでもある。

ただ若しそれが
「恋愛についての”合う”」
ではなく
「性指向の面で『合う人』は?」
という意味での質問という事であれば、私が今知る限りの範囲内では

・ノンケで挿入が要らない人
・同じアンセクの人
・ノンセクで性的な制限が緩い人

になるかな、、、って思ってる。


あまり「性的欲求」と「性行為欲求」、つまり
『性行為をする・しない』
の二者択一ではなく、
『性的行動をどこまでするか・できるか』
の中庸的・中間の様々な場所を区切りとして分けて考える事ができていない人等からは
「性行為したくないんなら、ノンセクでもいいんじゃね?」
とか
「アンセクなんてセクマイじゃない」
等といった批判などを受けたこともあるけど、実際(私も含め)そういう(アンセク的志向を持つ)人はいるわけで。

で、同様に”性的欲求・性行為欲求の分離が苦手な人”からは
「(性指向的に)ノンセクや性嫌悪の人と合うんじゃないの?」
って言われることもあるけど、実際アンセクっていうのは「生殖行為/交合行為忌避・(被)挿入忌避」が要点なのであってそれ以外は特に制限はない。

故に、極論すれば
「普通のノンケさん以上に(俗な言葉でいえば”ビッチ”とか”精子脳”とかみたいに)性的欲求や性的行動欲求が非常に強いアンセク」
という人も存在し得るしきっといると思うから、そうなると「性嫌悪」や「(性嫌悪寄りな)ノンセク」さんとは合わないってことになる。

それとこれは以前のブログでも書いたけど、アンセクには他のセクにはない『他者に性的欲求を向けることを肯定』という特徴があるが、これは飽く迄
「性的欲求を外に向ける事を不可としていない」
だけであって
「常日頃から周りに性的欲求を向けていないといけない」
わけではないので、”アンセク≒常に盛ってる”というわけではない。
だから、”アンセクの人が気分や体調または日によっては「性嫌悪並みに性的接触や性的欲求を忌避する」”ということ事があっても、それはそれであり得る事であって、そんな感じの方が
「偶に性嫌悪っぽくなるけど、アンセクでもいいのだろうか?」
等と悩む必要はなく、純粋に
「他者や自分の外に性的欲求を向けることがあるし性的行為に興味や実践したい気持ちはあるけど、生殖行為/交合行為だけはしようとおもわないor嫌い」
という点さえあればそれはアンセクでよいと思う


そういう理由から、全般的に「性指向的にアンセクと合いそうな人」っていう質問には上述の通り
・ノンケで挿入が要らない人
・同じアンセクの人
・ノンセクでも性的な制限が緩い(性嫌悪寄りではない)人
という感じの
「性的欲求を向けられても&性的な行為を受けることがあっても大丈夫」
という人になるのではないのかな、って思うのが今の私の考えだったりする。


因みに、アンセク者の恋愛云々に関して
「(被)挿入嫌いな人って割といるから、きっと見つかるよ」
とアンセクに理解のある方から有難い言葉を貰う事が時々ある。
けれど、(これは飽く迄私が見聞した範囲だけど)
「挿入”も含めて性的行為全般”が常に嫌いな人」
は居るし、恐らくアドバイスをくれる方々が言っているのもこういう人たちの事なのだろうと思ってる。
けれど、
「挿入”だけ”が嫌いな人・苦手な人」
というのはほとんど見かけたことがないに等しいので、色々説明等々に難が出てきたりするんだろうなぁって思う。




 また、私はセクマイの集まりに参加するまではリアルでセクマイさんにあった事は無くて、セクマイさんに会ったりセクマイについて話したりするのはネット上が主だったんだけど、そんな会話の中、特にアンセクについて無理解な方からの言葉で一番きつかったのは上述したけど
『アンセクはセクマイなんかじゃない』
っていう奴だったかなって思う。

そういう意見の人の理論としては
「挿入以外は大丈夫だし出来るんでしょ?ノンケ(マジョリティ)の中にだって同じような(交合行為はしたくない・されられたくない)という感じの人は居る(し、それがアンセクと同じようなものだ)から、アンセクはセクマイじゃなく(て、ノンケの一部でありノンケの気の迷)い」
というのがそういってきた人の持論・理論・理屈だった。

 そういう批判を受けた頃はまだ私自身の考えとかが確り固まってなかったから、ちゃんとした反論はあまり出来なかったけど、長い間アンセクや私自身の思考について考えてきた今若し同じような批判を受けたとしたら
「でもそういう人は『やろうと思えばできるけど、気分でしたくない』んでしょう?そもそもアンセクというのは『やろうとしてもできない・したくない、やろうとも思えない・嫌い』というセクシャリティだからそこは完全に違うし、第一、『(被)挿入行為”と”死”とを天秤にかけて考えた』ことがありますか?」
と言い返したいと思っている。





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性はグラデーション

私はアンセクシャルを造語後に
「性(やセクシャリティ)はグラデーション」
という言葉を聞いたのですが、このことについて私がお話したことがある方の中では
性はグラデーション1
上図のように直線をモデルに考えている方が割と多かった気がします。
ですが、私の場合アンセク造語前の自分の立ち位置についての考え方(前々回の記事)のイメージで
性はグラデーション2
図のような面での考え方になってました。


これで何が言いたかったかというと、直線的なグラデーションでは3つ以上の色が混ざることは非常に難しいですが、面でグラデーションを考えた時にはいくつでも重ねることが出来る、つまりより性の多様性に近い考え方が出来るのではないかなと思います。

実際私がそうであったように、
「(自分の志向を表現する言葉は)既存のセクにはなくて、既存セクのいくつかの部分部分が重なったような状態」
という方はきっといるはずだと思う。

また、アンセクシャルについて話をすると
「そんな細かく分けなくてもいい」
とか
「細かく分けると余計に理解から遠のく」
といった意見を述べる方が時々居るけど、例えば500色の色鉛筆や
『ノンセク等々セクシャリティーの多様さは日本独特』
等のように、ちょっとした違いにも名前を付けるのは日本人独特の感性であり良い所でもあると思う。

で、例えば色の表現に関しても、”サムライ色”等という細かい色の区分の名前はあってもそれを日常生活で使っているか、若しくは使うかという話になるとそれはまた別問題で
「名前があるのだから使わなければならない」
という事はなく、また逆に細かい区分があるから日常生活に支障があるかと言えば実際問題何の支障もないという事実からしても、別に細かく区分をすること自体に問題はないと思う。





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アンセクシャルの定義と存在意義

※前回の記事の続きになります。

時々”アンセクシャル”の言葉の由来や意味について聞かれることがあるけど、特に深い意味はなくまたこんなにも認知してもらえるとは思ってなかったので、ただ単純に

『「性行為を忌避する」という意味で性行為を意味する”Sex”に忌避の意味を込めて「un」をつけた』

結果がアンセクシャル(Unsexal)となった次第です。

また、アンセクシャルを提唱した当初は特に深く考えず私の思考(志向・嗜好)を表す言葉が欲しかったので

「性行動は取れるけど生殖行為をしようと思わないor忌避するセクシャリティ」

という、ざっくりとした内容にしてました。


その後、多くのセクマイの方々とお話したりしていく中で

「アンセクシャルの意味で“生殖行為“と表現するのは(私が思っていることに関して)正確ではなくなるかもしれない」

とか

「(私が最初に属した)ノンセクシャルも(私が見聞きする限り)”性嫌悪に近い方”から、”自分はしたくないけどされる分には構わない”という感覚の方まで幅広くいるから、アンセクシャルももうちょっと緩く・幅広くてもいいんじゃないかな」

等色々考えさせられることがあり、今の時点で私が思っている”アンセクシャル”の定義的なものとしては


前提:
 どの性別に性的指向が向いているかにかかわらず、他者に対し性的欲求・性的行動欲求を抱くことがあり、また実際の性的行為に禁忌感や忌避感を持たず及ぶことが出来る

その上で、

広義的:生殖行為に繋がらない(被)挿入行為迄は大丈夫orできなくはないけれど、生殖行為に関してはしようとは思わなかったり忌避感や嫌悪感を抱く
狭義的:生殖行為云々に関わらず、(被)挿入行為自体に対してしようとは思わない、または忌避感や嫌悪感を抱く


といった感じで捉えてます。



また、以前セクシャリティの分類を表すものとして「アイデンティティスペクトラム」というものがあるということについて書いたことがありますが、私が見たサイトで書かれていたのは(男性・女性を両極として)
・生物学的性
・性自認
・社会的性
・恋愛指向
・性指向

の5つが挙げられていたのですが、そもそもこの5つだけではアンセクシャルやノンセクシャルといったセクシャリティについては表現できないと思ってて、これにプラスして
『性的行動』
という項目を追加してもいいと思う。
(実際にアイデンティティスペクトラムの項目はいくつあってもいいらしいので)

で、その上でこのスペクトラムついて

「この中で「性自認」「恋愛指向」「性指向」等に於いては両極以外にも中間などについてセクシャリティ名がある」

という事とか

「性的行動についても”性嫌悪といった一切不可”なものと”何の問題もなく全部できる”というノンケ的な部分には名前があるし、また実際性的行動については(隠語ではあるけど)A・B・Cというような分け方もされているのに、なぜかその中間(を表すセクシャリティ)がない」

という考えを満たすものとしてアンセクシャルというのは逢ってもいいと思うし、さらに言えば数ある「性的行動」について表すセクシャリティの中でも

『「性的行動欲求が他社に向かう事を肯定する」というセクシャリティが存在しない』

という面から見ても、アンセクシャルのような既存のにはないセクが存在する意味はあると思う。




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