FC2ブログ
 

セクシャリティは無限大

スポンサーサイト

--/--/-- (--) --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

私的セクシャリティ考

例えばセクシャルについて新しく定義や考察をしようとすると、

『そんな難しく考えなくても、周りは分かってくれるよ』
とか
『そういうのは人の数だけあるのだから、きりがないのでは?』

『そういうことをしても無意味』

等と言う意見を聞くことがある。


しかし、現実に於いて少なくともセクシャリティに関しては

・自分を上手く表現できずに悩む人
・自分がどういう存在であるのか分からなくて悩む人
・周りにいる自分とは違うセクシャルを持った人を理解できず(or理解しようとせず)忌避したり排除したりしようとする人

が数多く居られるのが現実である。


特に3番目については、先日wikiから非性愛(ノンセクシャル)の項目が削除されたように、

『そんな言葉(やそれに属する人達)なんて存在しない・存在するわけがない』
『そんな(風に感じる・考える)のはただの勘違いに決まっている』

と言う人や事例は本当に多く、それらの偏見や無理解に苦しめられている人が居るのも又事実だと思う。


ただ現実問題”セクシャリティ”と呼ばれるものは

「個人のアイデンティティにも関わる部分」

が多分にある為、また殊に日本に於いては

「"集団(の利益を尊重する)社会"の側面が強いところがある」

所為か、セクシャルに対する無理解や偏見・批判によって生きている実感を得られなかったり、自分が属するべき集団が分からない孤立感・孤独感(マイノリティー)などから自ら命を絶とうとすることさえ考える人は確かに居る。

それ故、そういう方々に対し

「こういう考えもあるんだよ」

とか

「こういう人達、あなた方と同じ考え方・感じ方を持つ人だってちゃんと居るんだよ」

ということを表し・指し示す為にも、冒頭に述べたようにセクシャルに対する”考察”や”定義付け”、”言語化”などは『全く意味のないもの・無駄な行為』という誹りを受ける謂れはなく、寧ろ非常に意味を持つモノ・行為であると私は思う。


上記で<日本は集団社会>と述べたが、私個人としては日本がそういう社会であるが故に
『少しでも周りとの違いを自分の中に感じた場合には疎外感を感じた』り、
『自分以外の周囲の人間に感じた場合には排他的な考えを持ったり』する部分があるが故に"ノンセクシャル"等の日本独自のセクシャリティを表現する言葉や自認する方々が居られるのではないかなと思っている。


セクシャリティの定義化・言語化に関しては、ただただ無為に定義や言葉を細かく分類してしまうと煩雑化・複雑化してくる面も確かにあると思う。
しかし、上記のように少しの違いでも差分を強く感じてしまう社会に於いては細かい定義づけは有用であると思う。
それに、定義や言葉が煩雑化したからといってそれ(多様化・煩雑化すること)を疎む人は出てくるかもしれないが、それ傷ついたり命を失う人は居ないと私は思う。
却って細かい定義があったことによって救われる命は間違いなくあると思うし、又救われる命があるのが現実であるという事を鑑みるに、より一層(セクシャルの)言語化は

「他者に理解されやすいように説明する」

為のツールという以上の意味を持つもの・持つ行為であると思う。



凡その場合、人は物心ついた頃から

「自己(アイデンティティー)」

という『自分が拠って立つ根本』について意識無意識に関わらず考え、理解し、獲得しようとし始めるものであると思うけれども、皆が皆すぐにそれを確立できるわけではなく、また、人それぞれ違うモノであることは確かであると思う。


特にセクシャルについて例えるならば、、、、、、


一人ひとりがみんな自分自身が初めは地面に描かれた細い線で囲まれていて、泡のようにふわふわ浮いている状態にあると思う。

そして、自分のセクシャルについて自覚・自認できれば出来るほどその線は太くはっきりとしてくるようなモノで、周りを見渡し自分と同じセクシャルの人を見つかった場合にはお互いの線を繋げ合い集団を形成し、より大きな形へと成長していくようなモノだと思う。

そしていくつか出来始めた集団の中で一番大きな集団が「セクシャルマジョリティー」と呼ばれ、それ以外の小さな集団や、未だにどこにも属さないでいるような状態にいる人たちを指して「セクシャルマイノリティー」と呼ぶのだと思う。


個人的にここまでの過程に関しては特に問題はないと思うのだが、ここから先の過程において

・「セクシャルマジョリティー」と呼ばれる集団に属する人たちはそれ以外の集団や個々人に対して理解しようとはせず、中にはそういう人達を否定する人も居ること

・集団の大小に関わらず、一定の集団が出来てそれに属してしまうと属すること自体に安堵してしまい、そこから決して離れてみよう・他のセクシャリティに興味を持とうとはしない人が多いこと
(例えるなら、『自分達の周りを囲んでいるのは本来簡単に離脱することが出来るはずのただの"線"である』はずがまるで『厳重な檻の中に居て、外からではなく中から鍵をかけたような状態』に自分から仕向けてしまう)

・”セクシャルマイノリティ”と呼ばれる集団に属する人たちの中にも、自分達以外の、或いは自分達よりも小さな集団(マイノリティ)に対して忌避・排除・疎外といった考えを持つことが往々にしてあること


が何より大きな問題であると思う。


飽く迄個人的な見解ではあるが、セクシャリティの定義は先にも述べた通り飽く迄『自己を表現するツール』であって『自分を縛る枷』ではないはずだと思うので、理想的な感覚としてはセクシャリティの定義を「住所」のように認識できることがより良い方法ではないかな?と思う。

そうすれば、
・『住めば都』のように、そのセクシャリティ(土地・住所)を気に入りそこに"定住"する人
・色んな定義を渡り歩いて、自分探しをする人
・旅芸人のように、自己を確立した上で敢えてどの定義を求めるわけでもなく、どの定義にも属さずに生きる人

等といったように、セクシャリティに縛られることなく、また色々なセクシャリティについての考え方が出来、且つ容易に受け入れることができるようになれるのではないかな、と考えたりする。



「集団の有無・大小に関わらず誰もがきちんと"個"として"人"として生きていくことの出来る」

ことが本来、というか理想の社会なのだが、現実問題今の時点においてそれがかなわない社会である以上、

『集団に属せない(自分が属するべき・属することの出来る適切な集団(セクシャルの定義)が見つからない)状態にある方々』

の為に、色々な考察や定義・言語化を行うことはとても大事なことであるし、

『マジョリティーから理解されない・認知されないことが多々ある小さな集団(マイノリティー)の方々が、個々人の状態である方々や自分達よりも小さな集団を(自分達がされているように)無理解・疎外するのではなく、そういう人達と一緒になって声を上げていく』

ことはより重要なことであると思う。



にほんブログ村 恋愛ブログ セクシャルマイノリティへ
にほんブログ村

にほんブログ村 恋愛ブログ 非性愛・ノンセクシャルへ
にほんブログ村

↑何気にランキングに参加中。良かったらポチっと押して頂けると有難いです


スポンサーサイト

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 
 

トラックバックトラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。