セクシャリティは無限大

個人的(デミ)セクシャル論

こんばんわ。

1年以上ぶりの記事追加です。
今回は私自身のセクシャリティを改めて考えた際に浮かんだ説明が中々に気に入ったので、(半ば自己満足気味ですが)それを書いてみようと思います。

まずはじめに私が改めて考えてみたセクシャリティと言うのは
「デミロマンティック(デミセクシャル)」
についてで、その際に私が思う私自身のデミの説明として浮かんだ内容が

『まず目の前に(地平線が見えそうな位に)だたっ広い平原とか所々に森とかがあって、その平原を抜けた先に2つの山があって、平原を抜けた所からは片方の山(仮にAとする)にしか行けなくて、その山を踏破(≠登頂)して初めてもう片方の山(B)に行く道が出来ることがある』

と言う感じです。

ちなみにこれを解説していくと、『だたっ広い平原』と言うのがデミにおける「仲良くなる為に必要な期間・密度」を指していて、
『平原の長さ・距離』
『(鬱蒼とした森があったり、深い谷が存在していたりなどの)通過する為の困難さ・険しさ』
と言ったものは人それぞれだと思いますし、何よりもデミ属性の無い方と言うのはこの平原がご自身に存在しない方なんだろうなぁと思ってます。

そして平原を抜けた先にある山が「恋愛感情」と「性愛・性的欲求」に相当するものになります。
因みに私の場合は、「デミセクシャル」と「デミロマンティック」と言う風に”恋愛”と”性愛”とを別々に捉え、且つ自認しているのでそれぞれ山として別々に存在していますが、『好きなら性行為できるはずだ』と言う風に恋愛と性愛を同一視している方の場合はこれが合体して一つになっているんだろうなと思います。
また、別の見方として
『私は「モノアモールでモノアモリー」と自認しているので恋愛(及び性愛)の山は1つしかありませんが、これがポリアモリーの方の場合は複数存在しているという感じになるのだろう』
と思いますし、また
『私の場合は人生の殆どをアンセクシャルとして生きて来たこともあり、初めから他者に対して性欲を抱かない・感じない・向かないのがデフォになっている為、平原を抜けた先で初めから性愛の山に道は繋がっていませんが、単純に「デミセクシャル」だけの方の場合であれば、性愛の山の方にも道は続いていたりするのだろう』
と思います。

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