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同性婚(同性愛)について(2)

前回は私が見聞きしたことを中心に書いてみましたが、今回は私が私が同性愛・同性婚について考えている事・思っている事等を書いてみたいと思います。
(飽く迄『思っている事』なので、絶対こうなってほしいという訳ではなく、また好き勝手に書いている所もあるかもしれませんので、そういうのが苦手な方はスルー頂くことをお勧めします。)



今の日本で同性婚が出来ない事は周知の事実で、同性婚の実現の為に頑張っている方々が居られるのもまた事実です。

ただ、今迄認知・認識すらされていなかったものを
「さぁ普遍的なものにしよう」
というのは反発が非常に強いことも十分に予想されとても難しい事だと思いますし、突き詰めていけば憲法論議(第24条)にすら発展しかねない内容だと思うので、いきなり『オールオッケーにしよう』というのはとても時間のかかる事なのではないかなと思いますし、実際、日本の歴史を鑑みるに
「(これまで0に近かったものを)いきなり普遍的なものにした」
ということが起きたのは平時よりも寧ろ大変革期、例えば明治維新(創氏改名)や終戦(女性参政権)等のような時期が殆どなのではないかなと思います。

ただ、平時に「0だったものを普遍的にした」若しくは「今までなかったものがだんだんと認知されるようになってきた」というケースが全くなかったという訳ではなく、近い所では昨今の嫌煙権やそれに類するあれこれ、もっとさかのぼれば『普通選挙』に関する例が挙げられるかと思います。
義務教育等で習ったことがあると思うのでご存じの方も多いと思いますが、これは今では当たり前の
「皆が政治に参加できるように(投票できるように)しよう」
というもので、当然のように江戸時代まではある意味武士の独占物だった政治に庶民も参加できるようにしようというものでした。
ただ、これは平時に行われた数少ない改変として、いきなりオールオッケーになったわけではなく、
『○○円以上の税金を納めた者』
という条件付きで始まり、その条件の金額が段々と小さくなっていって、最終的に条件なし(≒普遍的)になったという経緯での実施でした。

(飽く迄個人的な意見ではありますが)これが行われたのは明治~大正にかけてであり、今とは情勢・世相等が違うという点は勿論ありますが、私としては”日本に於いて平時に改変する事が出来た数少ない例”として、これは参考に値するのではないかなと思います。
要するに、
『いままで殆ど0だったもの(存在し得なかったもの)を普遍的に存在する(認識される)ようにしよう』
と言う点では、同性婚と目指すところは同じだと思うので、正面突破(いきなりの普遍化)が無理なのであれば搦め手として同じように段階・手順を踏む、つまり
『「兎に角何某かの条件を付けていいからまずは同性婚が出来る」ようにして、段々とその条件を減らしていく』
と言う手段も選択肢の中にあってもいいのではないかなと思うのです。
勿論条件を付けるという事は、その条件の対象にならない方々も出てきて「差別」「平等じゃない」と言う風に感じる方々も当然出て来るかと思います。
ただ、私としては
『”時間がかかる”と言う点で同じであるならば、「(成功確率が不明な)いきなりの同性婚の普遍化」を目指す前に、「(条件を付けてでも)まずは社会に”同性婚(的な所帯で生活)をしているカップルが居る”という既成事実を作る」ことを優先させても良いのではないか』
と思うのです。

上記の「条件付OK」の前提に立って考えられるもの、と言うか私自身が考えてみた案として(これは本当に飽く迄一例ですが)以下のようなものが挙げられるのではないかと思います。


一、扶育する子供の人数を条件にする

上述の過去に選挙権を認めた手順と同じように、数字的な条件として
『「○人以上の子を扶育する事」というのを条件(として同性婚を認めるようにして、段々とその対象人数を減らしていく)』
と言う方策があるかと思いますし、なにより特にこの案について述べるのであれば、何より”扶育する”という条件にしている点が大事ではないかなと思います。

世間一般的な(マジョリティな方々の)発想でいけば『結婚』が即ち『子を為す』という事と同義に捉えられていたり、また結婚した者同士において”子供”といえば『子供を作る・子を産む』という表現になるのではないかなと思います。
ですが、若しその認識に従い
『子を出産・養育する事』
という表現・文言にした場合、男性同性愛者の方々がその条件を満たすのは到底無理な話になってしまう(≒条件付きであっても同性婚が出来なくなる)ので「扶育」、つまり
「(血縁の有無は別にして(≒養子等でもいいので))子供を育てる事」
を条件とすれば、男性同性愛者の方々でも条件を満たすことが出来るようになると思うのです。

そして、実際に「(何の問題もなく)子供を育てている同性婚カップル」が当たり前のように社会の中に居て、多くの方の目に触れるようになれば、
「同性カップルの元では子供は育たない」
という反対意見をお持ちの方々に対して『必ずしもそうとはならない』という実例をお見せするいい機会になると思いますし、また中には
『同性婚さえ認められる・認めて貰えるのであれば子供を産みたい・育てたい』
と言う方々もきっと居られると思うので、そういう方々の存在が多くの方の目に触れるようになれば
「同性婚は(子を為さないが故に)少子化につながるから駄目だ!!」
と言う考えをお持ちの方に対して『必ずしもそうとは限らない』という事をお見せするいい機会になるのではないかなと思います。


ただ、この制度が実際に実現した場合、上記のような例とは逆に
「子供云々は別にして兎に角結婚がしたい」
という事をお思いの同性カップルが、
『同性婚をする為(だけ)に表面上養子を迎えるなりして条件を満たして同性婚をし、その後は十分な扶育を行わない』
と言うケースが出て来ることも当然予想されます。
なのでそれを防ぐ方法の一つの案として
「公的機関(児相)や民生委員などの(調査)訪問を拒否してはならない」
といった条件を付けることで一定の予防策に出来るのではないかなと思います。



二、地方移住推進・転住推進の一助にする

昨今は、殊地方に於いて「限界集落」や「○○年後にはなくなるであろう自治体」と言う話が間々聞かれるようになってきています。
現実の話として、人口の首都圏(や三大都市圏)への集中は高度成長期から今に至るまで続いているのは事実であり、そうなれば勢い地方の人口が先細りになるのは自明の理ですし、その流れで限界集落や消滅自治体が出現するのも当然と言えます。

ただこれに関連する話として、どういう制度名だったかは忘れましたが
「主に都市部などのセミリタイアした方々(大体40~50代)の方々を対象に、市町村など地方の自治体が移住に必要な生活環境(家・車・生活費(の一部)等)を用意する代わりに、(高齢者の多い)地域の安定(地域(や一人暮らしの老人宅)の見回りや清掃作業等)に協力してもらう」
といった制度があるというのを以前私がテレビで目にしたことがあって、私個人的には
「これを同性婚に応用できないのかな?」
という事を考えていたりします。

つまり、簡単に言えば
「同性カップルを対象に、上述の制度と同じように移住後の為の一定の生活環境を用意する代わりに移住して貰う」
と言う感じです。

勿論、生活環境だけでは移住したいと思うカップルはそこまで居られないかもしれないので、例えば(上述の(生活環境補助の)制度にプラスして)
「一で挙げた条件を満たすのであれば、(現行法上で可能な範囲で(同性パートナーシップ制度以上の))条例なり制度なりを用意する」
と言った感じにすれば、移住に食指が動く方々も居られるのではないかなと(飽く迄個人的な・勝手な考えですが)想ったりしてます。

また、この場合の『可能な範囲での条例等』はどういうものがあるかと言えば、(私自身法律等に詳しい訳ではないので現実問題可能かどうかは分からないですが)例えば


現時点ですでに同性パートナーシップ制度が制定されている自治体でも

https://www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/20170323?utm_term=.vfwnao8JxL#.dwPAbWnmQk

上記リンク先に記載されているような実態があるというのをつい先日目にしたので、このような事態にならないような文言を組み込んだ条例を作る


同じ住民票上に記載出来るようにする(パートナーのどちらかが世帯主になれる)

と言ったものが考えられるのではないかなと思います。


現実問題として泥臭い話をするなら、行政と言うのは自分たちに目に見える理のないことにはあまり動かない場合もあるので、上述のような
「自分たちの自治体の人口増(ひいては『人口統計の釣鐘型への接近』や『税収増』)」
をもたらすのであればきっと行政も本腰を入れて頑張るのではないかなという淡い期待もあったりします。
実際、このこと(≒自分たちに理があるならば行政は頑張る)の分かりやすい例を昨今の話題で言うとするならば、『ふるさと納税』の例(自分達の自治体の税収が上がればこそ、(とうとう規制されるほどに)返礼品に力を入れたと言える)が挙げられるかなと思います。

ただ、実際人口減にあえいでいる地方の自治体に多く住まわれている方々と言えば高齢者の方々という事になりますし、高齢者の方々は往々にして同性婚をはじめとしたマイノリティに対する理解が低い場合が多いので、いざ
『同性カップルさんの移住を促そう』
と自治体が前のめりになっても、そこに住む住民が受け入れないのであれば上手くいくことはないでしょう。

ですが、『地方の人口減及び集落・自治体の消滅』は現実として目の前に迫っているのは事実なので、上記の案を踏まえた上で極端に言えば
・自分たちの住む集落(自治体)が消えること
・マイノリティの存在
の何れかを受け入れる二択になるのではないかと思いますし、そこは自治体が住民に(根気よく)説明していく必要があるのではないかなと思います。

また、上で述べた案は飽く迄私が以前目にした制度を基にした『一自治体単位』での話ですが、何度も言う通り地方の人口減は日々進行している現実なので、自治体単位ではなく地域・地方単位で例えば
「セクマイ特区」
等のようなものを申請し、その範囲内では同性カップルへの権利向上を実現する(ことで移住を促し、人口減に歯止めをかける一助にする)と言う案・手もあるのではないかなと思います。


と、長々と書いてしまいましたが、以上が私が(個人的に・勝手に)同性婚の実現に向けた方策として考えている内容の一端になります。

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同性婚(同性愛)について(1)

最近ふと表題のように同性婚について考えることがあったので、忘れないうちに書いてみようと思う。

まず最初に、私自身は個人的に賛否いずれかと問われれば、”同性婚(同性愛)はあっても良い”と思う側です。
いつかの記事に書いたかもしれませんが、私は
「思う(想う)事は精神内の出来事であり、それをしたから・何か考えたからと言って誰かに迷惑がかかる訳でもない(他人が考えてることなんてわかる訳ない)ので、それは自由である」
「他者に迷惑・害を及ぼさない限り、思想の発露(行動)も自由」
と、大雑把に言ってこういう考えでいるので、誰か自分以外の第三者同士が同性で結婚した所で、自分を含めた当事者以外の他者が傷つくことも殆どない(今の社会だと結婚した同士の親が傷つく可能性があるので全てとは言えない)と思うので、同性婚それ自体に罪もなければ否定することもないと思うからです。

尚、先日同性婚について
『「日本以外の諸外国では、国教的な宗教がある国が多く、且つその宗教によって長らく同性愛が禁止されてきた経緯・歴史がある為、逆説的にその間ずっとその地域・国の人々には『同性愛と言うのは存在する』と(強く)認識されてきた」
のに対し、
「日本では特に決まった国教もなく、また昔から宗教その他何かによって同性愛が禁止されてきた歴史もなければ、寧ろ男色が普通に存在していた経緯もあるので、取り立てて特に強く意識されることはなかった」
と言う違いが今の諸外国と日本との同性愛に対する認識度合いの違いの理由と思う』
的な内容の記載を目にして、私自身確かにこれは一理あるかもと思い、これを見た感想が

”(今の世の中は)『「(存在していることを)認識されてるけど(多くの場合)禁止されてて、その上(当事者は)迫害・命の危険」があるのと「とくに禁止はされてなくて命の危険等は無いけど、あまり認識されてない」のどっちがいいか?』的な状態にあるような気がする”

という、先日のツイートに繋がる訳です。


同性愛の経緯に関する話はこれ位にして、今の日本の社会に於いては同性婚は認められていない状態にあり、そして、そんな『(同性婚が出来ない)状況はおかしい!変えよう!』としている方々が居られるのもまた事実ですが、現実として今の日本に於いては
「同性婚(同性愛)なんておかしい。不自然だ!」
「同性婚は少子化を促進させる(から認めては駄目だ)!!」
という、認知・認識の低さ所以の無理解から来る反対が大勢を占めているような状態です。

そして行政の方に目を向ければ、これまで日本はアメリカを何かと追随していた面があるので(少なくともトランプ大統領になるまでは)アメリカでは同性婚についてかなり進展した状態にあったので、期待が持てるかなと思いきや今の政府が追随しようとしているのは『カジノ』についてであり、同性婚については殆ど議論の俎上にも上がっていないような状態ではないのかなと個人的に思っています。

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個人的(デミ)セクシャル論

こんばんわ。

1年以上ぶりの記事追加です。
今回は私自身のセクシャリティを改めて考えた際に浮かんだ説明が中々に気に入ったので、(半ば自己満足気味ですが)それを書いてみようと思います。

まずはじめに私が改めて考えてみたセクシャリティと言うのは
「デミロマンティック(デミセクシャル)」
についてで、その際に私が思う私自身のデミの説明として浮かんだ内容が

『まず目の前に(地平線が見えそうな位に)だたっ広い平原とか所々に森とかがあって、その平原を抜けた先に2つの山があって、平原を抜けた所からは片方の山(仮にAとする)にしか行けなくて、その山を踏破(≠登頂)して初めてもう片方の山(B)に行く道が出来ることがある』

と言う感じです。

ちなみにこれを解説していくと、『だたっ広い平原』と言うのがデミにおける「仲良くなる為に必要な期間・密度」を指していて、
『平原の長さ・距離』
『(鬱蒼とした森があったり、深い谷が存在していたりなどの)通過する為の困難さ・険しさ』
と言ったものは人それぞれだと思いますし、何よりもデミ属性の無い方と言うのはこの平原がご自身に存在しない方なんだろうなぁと思ってます。

そして平原を抜けた先にある山が「恋愛感情」と「性愛・性的欲求」に相当するものになります。
因みに私の場合は、「デミセクシャル」と「デミロマンティック」と言う風に”恋愛”と”性愛”とを別々に捉え、且つ自認しているのでそれぞれ山として別々に存在していますが、『好きなら性行為できるはずだ』と言う風に恋愛と性愛を同一視している方の場合はこれが合体して一つになっているんだろうなと思います。
また、別の見方として
『私は「モノアモールでモノアモリー」と自認しているので恋愛(及び性愛)の山は1つしかありませんが、これがポリアモリーの方の場合は複数存在しているという感じになるのだろう』
と思いますし、また
『私の場合は人生の殆どをアンセクシャルとして生きて来たこともあり、初めから他者に対して性欲を抱かない・感じない・向かないのがデフォになっている為、平原を抜けた先で初めから性愛の山に道は繋がっていませんが、単純に「デミセクシャル」だけの方の場合であれば、性愛の山の方にも道は続いていたりするのだろう』
と思います。

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私の自認セクシャリティと自認に至る経緯

ツイッター等でセクシャリティの話をしていたら、自分のセクシャリティについてのあれこれが浮かんで折角なのでここに書いてみることにする。

初めに私が自認しているセクシャリティとしては
・アンセクシャル
・シスジェンダー
・デミロマンティック
・(微)デミセクシャル
・モノアモール
・モノアモリー
・ポリセクシャル
・ノンガミー

以上がある。

Ⅰ:
そもそも私がセクマイを自認・自覚して色々用語とか志向等を
調べて行った結果、

アンセクシャル(性欲はあり性的欲求も他者に向かうことがあるけれど、性行為欲求はない)】
シスジェンダー(生まれ持った生物学的性と性自認が一致している)】

(と言う表現)に辿り着いて、これら2つが私のセクのベースとなってる。


Ⅱ:
私のベースとなっているアンセクシャルについてこれまで色んな場面でお話させて頂いていた中で、

『性行為さえなければ、若しくは性行為だけなくて大丈夫な相手がいれば(今ならこの時点で「そんな方は殆どいない」と反論出来るんですが(苦笑)))世間一般的な男性のような反応(一目惚れとか相手を性的な目線で見たり)したりするか?』

的なニュアンスの質問を過去に頂いたことがある。


それについては質問された際に明確な返事が出来なかったのだけれど、
後々その質問の意味を考える中で


私は一時期
『女性になれた方が楽なんじゃ?』
って少し考えた程に(ただその後色々考えて「それは違う」と確信した結果としてシスジェンダーを自認してる)女性(が多数派)の輪にいる方が楽だし、(アンセクの説明でよく使うけど)基本
「性(自認)に関係なく皆友達」
という志向なので根本的にある意味『恋愛機能・恋愛センサー』がかなりヘタってるから一目惚れなんて無理


セクを別にした私の信念として
「自分がされて嫌なことは他人にしない」
というのがあって、
「世の男性と同じく(一目惚れとかも含めて一方的に)好きになるということは、
(特にセクマイと言う存在を知ってからは)ビアンさんとか男性無理な人にも
それ(恋愛脳)が向くという意味にもなる」
と思うから、それはその人にとって非常に嫌な事だから私にはできないししたくない


そもそもからしてその人が『性行為だけなくて大丈夫な人』ということは誰が担保してくれる訳でもないし、最終的に確認・確信するのは自分であって、やはりそういうもの(その人のセクや志向)は本人とじっくり話し合ってみないと分からないから、尚の事一方的に好きになったりできるわけがない。


という考えが纏まってきて、丁度色々セクシャリティを調べている中で出会った

デミロマンティック(仲良くなった相手にのみ恋愛感情を抱く可能性がある)】
デミセクシャル(仲良くなった相手にのみ性的欲求が向かう可能性がある)】

と言うのがこれにすごくあてはまると得心がいったので、これらも自認している。

Ⅲ:
また、このような
「私のアンセクを理解・許容出来る方にあった事はないし、そもそも(私の経験上)アンセクを理解・許容できる人はほっとんど居ない」
「私のデミロマンティックが発動するほど、お互いのセクや志向・好みについて語り合える方に巡り合える機会はそうそうあるもんじゃない」
「これまで受けてきた教育とか環境」
等を理由として、

モノアモール(好きになるのは常に一人)】
モノアモリー(付き合う形態としては1対1)】

を自認している。

Ⅳ:
恋愛対象に関してアンセクだけを強く認識していた当初は
「(アンセクを重視する観点から)性行為(子作り行為)が要らない思考なのだから、相手は女性(女体ユーザー)に限らないんじゃないのか?」
という考えから
「パンセクかなぁ、、、、」
と思ってた。

でも、私の経歴を思い返したりいろいろ考えたりして、
「でもやっぱり男性だけは無理だと思う」
と感じたので、パンセクシャルではなく

ポリセクシャル(複数の性(自認な方)が恋愛対象)】

を自認している。

Ⅴ:
個人的に結婚願望は強くなく、
「恋愛≒性愛」
「恋愛≒結婚」
と言う考えも持っていないので、

ノンガミー(結婚を恋愛の目的としない)】

を自認している。


以上のような感じです。



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性はグラデーション

私はアンセクシャルを造語後に
「性(やセクシャリティ)はグラデーション」
という言葉を聞いたのですが、このことについて私がお話したことがある方の中では
性はグラデーション1
上図のように直線をモデルに考えている方が割と多かった気がします。
ですが、私の場合アンセク造語前の自分の立ち位置についての考え方(前々回の記事)のイメージで
性はグラデーション2
図のような面での考え方になってました。


これで何が言いたかったかというと、直線的なグラデーションでは3つ以上の色が混ざることは非常に難しいですが、面でグラデーションを考えた時にはいくつでも重ねることが出来る、つまりより性の多様性に近い考え方が出来るのではないかなと思います。

実際私がそうであったように、
「(自分の志向を表現する言葉は)既存のセクにはなくて、既存セクのいくつかの部分部分が重なったような状態」
という方はきっといるはずだと思う。

また、アンセクシャルについて話をすると
「そんな細かく分けなくてもいい」
とか
「細かく分けると余計に理解から遠のく」
といった意見を述べる方が時々居るけど、例えば500色の色鉛筆や
『ノンセク等々セクシャリティーの多様さは日本独特』
等のように、ちょっとした違いにも名前を付けるのは日本人独特の感性であり良い所でもあると思う。

で、例えば色の表現に関しても、”サムライ色”等という細かい色の区分の名前はあってもそれを日常生活で使っているか、若しくは使うかという話になるとそれはまた別問題で
「名前があるのだから使わなければならない」
という事はなく、また逆に細かい区分があるから日常生活に支障があるかと言えば実際問題何の支障もないという事実からしても、別に細かく区分をすること自体に問題はないと思う。





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