セクシャリティは無限大

同性婚(同性愛)について(1)

最近ふと表題のように同性婚について考えることがあったので、忘れないうちに書いてみようと思う。

まず最初に、私自身は個人的に賛否いずれかと問われれば、”同性婚(同性愛)はあっても良い”と思う側です。
いつかの記事に書いたかもしれませんが、私は
「思う(想う)事は精神内の出来事であり、それをしたから・何か考えたからと言って誰かに迷惑がかかる訳でもない(他人が考えてることなんてわかる訳ない)ので、それは自由である」
「他者に迷惑・害を及ぼさない限り、思想の発露(行動)も自由」
と、大雑把に言ってこういう考えでいるので、誰か自分以外の第三者同士が同性で結婚した所で、自分を含めた当事者以外の他者が傷つくことも殆どない(今の社会だと結婚した同士の親が傷つく可能性があるので全てとは言えない)と思うので、同性婚それ自体に罪もなければ否定することもないと思うからです。

尚、先日同性婚について
『「日本以外の諸外国では、国教的な宗教がある国が多く、且つその宗教によって長らく同性愛が禁止されてきた経緯・歴史がある為、逆説的にその間ずっとその地域・国の人々には『同性愛と言うのは存在する』と(強く)認識されてきた」
のに対し、
「日本では特に決まった国教もなく、また昔から宗教その他何かによって同性愛が禁止されてきた歴史もなければ、寧ろ男色が普通に存在していた経緯もあるので、取り立てて特に強く意識されることはなかった」
と言う違いが今の諸外国と日本との同性愛に対する認識度合いの違いの理由と思う』
的な内容の記載を目にして、私自身確かにこれは一理あるかもと思い、これを見た感想が

”(今の世の中は)『「(存在していることを)認識されてるけど(多くの場合)禁止されてて、その上(当事者は)迫害・命の危険」があるのと「とくに禁止はされてなくて命の危険等は無いけど、あまり認識されてない」のどっちがいいか?』的な状態にあるような気がする”

という、先日のツイートに繋がる訳です。


同性愛の経緯に関する話はこれ位にして、今の日本の社会に於いては同性婚は認められていない状態にあり、そして、そんな『(同性婚が出来ない)状況はおかしい!変えよう!』としている方々が居られるのもまた事実ですが、現実として今の日本に於いては
「同性婚(同性愛)なんておかしい。不自然だ!」
「同性婚は少子化を促進させる(から認めては駄目だ)!!」
という、認知・認識の低さ所以の無理解から来る反対が大勢を占めているような状態です。

そして行政の方に目を向ければ、これまで日本はアメリカを何かと追随していた面があるので(少なくともトランプ大統領になるまでは)アメリカでは同性婚についてかなり進展した状態にあったので、期待が持てるかなと思いきや今の政府が追随しようとしているのは『カジノ』についてであり、同性婚については殆ど議論の俎上にも上がっていないような状態ではないのかなと個人的に思っています。

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個人的(デミ)セクシャル論

こんばんわ。

1年以上ぶりの記事追加です。
今回は私自身のセクシャリティを改めて考えた際に浮かんだ説明が中々に気に入ったので、(半ば自己満足気味ですが)それを書いてみようと思います。

まずはじめに私が改めて考えてみたセクシャリティと言うのは
「デミロマンティック(デミセクシャル)」
についてで、その際に私が思う私自身のデミの説明として浮かんだ内容が

『まず目の前に(地平線が見えそうな位に)だたっ広い平原とか所々に森とかがあって、その平原を抜けた先に2つの山があって、平原を抜けた所からは片方の山(仮にAとする)にしか行けなくて、その山を踏破(≠登頂)して初めてもう片方の山(B)に行く道が出来ることがある』

と言う感じです。

ちなみにこれを解説していくと、『だたっ広い平原』と言うのがデミにおける「仲良くなる為に必要な期間・密度」を指していて、
『平原の長さ・距離』
『(鬱蒼とした森があったり、深い谷が存在していたりなどの)通過する為の困難さ・険しさ』
と言ったものは人それぞれだと思いますし、何よりもデミ属性の無い方と言うのはこの平原がご自身に存在しない方なんだろうなぁと思ってます。

そして平原を抜けた先にある山が「恋愛感情」と「性愛・性的欲求」に相当するものになります。
因みに私の場合は、「デミセクシャル」と「デミロマンティック」と言う風に”恋愛”と”性愛”とを別々に捉え、且つ自認しているのでそれぞれ山として別々に存在していますが、『好きなら性行為できるはずだ』と言う風に恋愛と性愛を同一視している方の場合はこれが合体して一つになっているんだろうなと思います。
また、別の見方として
『私は「モノアモールでモノアモリー」と自認しているので恋愛(及び性愛)の山は1つしかありませんが、これがポリアモリーの方の場合は複数存在しているという感じになるのだろう』
と思いますし、また
『私の場合は人生の殆どをアンセクシャルとして生きて来たこともあり、初めから他者に対して性欲を抱かない・感じない・向かないのがデフォになっている為、平原を抜けた先で初めから性愛の山に道は繋がっていませんが、単純に「デミセクシャル」だけの方の場合であれば、性愛の山の方にも道は続いていたりするのだろう』
と思います。

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私の自認セクシャリティと自認に至る経緯

ツイッター等でセクシャリティの話をしていたら、自分のセクシャリティについてのあれこれが浮かんで折角なのでここに書いてみることにする。

初めに私が自認しているセクシャリティとしては
・アンセクシャル
・シスジェンダー
・デミロマンティック
・(微)デミセクシャル
・モノアモール
・モノアモリー
・ポリセクシャル
・ノンガミー

以上がある。

Ⅰ:
そもそも私がセクマイを自認・自覚して色々用語とか志向等を
調べて行った結果、

アンセクシャル(性欲はあり性的欲求も他者に向かうことがあるけれど、性行為欲求はない)】
シスジェンダー(生まれ持った生物学的性と性自認が一致している)】

(と言う表現)に辿り着いて、これら2つが私のセクのベースとなってる。


Ⅱ:
私のベースとなっているアンセクシャルについてこれまで色んな場面でお話させて頂いていた中で、

『性行為さえなければ、若しくは性行為だけなくて大丈夫な相手がいれば(今ならこの時点で「そんな方は殆どいない」と反論出来るんですが(苦笑)))世間一般的な男性のような反応(一目惚れとか相手を性的な目線で見たり)したりするか?』

的なニュアンスの質問を過去に頂いたことがある。


それについては質問された際に明確な返事が出来なかったのだけれど、
後々その質問の意味を考える中で


私は一時期
『女性になれた方が楽なんじゃ?』
って少し考えた程に(ただその後色々考えて「それは違う」と確信した結果としてシスジェンダーを自認してる)女性(が多数派)の輪にいる方が楽だし、(アンセクの説明でよく使うけど)基本
「性(自認)に関係なく皆友達」
という志向なので根本的にある意味『恋愛機能・恋愛センサー』がかなりヘタってるから一目惚れなんて無理


セクを別にした私の信念として
「自分がされて嫌なことは他人にしない」
というのがあって、
「世の男性と同じく(一目惚れとかも含めて一方的に)好きになるということは、
(特にセクマイと言う存在を知ってからは)ビアンさんとか男性無理な人にも
それ(恋愛脳)が向くという意味にもなる」
と思うから、それはその人にとって非常に嫌な事だから私にはできないししたくない


そもそもからしてその人が『性行為だけなくて大丈夫な人』ということは誰が担保してくれる訳でもないし、最終的に確認・確信するのは自分であって、やはりそういうもの(その人のセクや志向)は本人とじっくり話し合ってみないと分からないから、尚の事一方的に好きになったりできるわけがない。


という考えが纏まってきて、丁度色々セクシャリティを調べている中で出会った

デミロマンティック(仲良くなった相手にのみ恋愛感情を抱く可能性がある)】
デミセクシャル(仲良くなった相手にのみ性的欲求が向かう可能性がある)】

と言うのがこれにすごくあてはまると得心がいったので、これらも自認している。

Ⅲ:
また、このような
「私のアンセクを理解・許容出来る方にあった事はないし、そもそも(私の経験上)アンセクを理解・許容できる人はほっとんど居ない」
「私のデミロマンティックが発動するほど、お互いのセクや志向・好みについて語り合える方に巡り合える機会はそうそうあるもんじゃない」
「これまで受けてきた教育とか環境」
等を理由として、

モノアモール(好きになるのは常に一人)】
モノアモリー(付き合う形態としては1対1)】

を自認している。

Ⅳ:
恋愛対象に関してアンセクだけを強く認識していた当初は
「(アンセクを重視する観点から)性行為(子作り行為)が要らない思考なのだから、相手は女性(女体ユーザー)に限らないんじゃないのか?」
という考えから
「パンセクかなぁ、、、、」
と思ってた。

でも、私の経歴を思い返したりいろいろ考えたりして、
「でもやっぱり男性だけは無理だと思う」
と感じたので、パンセクシャルではなく

ポリセクシャル(複数の性(自認な方)が恋愛対象)】

を自認している。

Ⅴ:
個人的に結婚願望は強くなく、
「恋愛≒性愛」
「恋愛≒結婚」
と言う考えも持っていないので、

ノンガミー(結婚を恋愛の目的としない)】

を自認している。


以上のような感じです。



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性はグラデーション

私はアンセクシャルを造語後に
「性(やセクシャリティ)はグラデーション」
という言葉を聞いたのですが、このことについて私がお話したことがある方の中では
性はグラデーション1
上図のように直線をモデルに考えている方が割と多かった気がします。
ですが、私の場合アンセク造語前の自分の立ち位置についての考え方(前々回の記事)のイメージで
性はグラデーション2
図のような面での考え方になってました。


これで何が言いたかったかというと、直線的なグラデーションでは3つ以上の色が混ざることは非常に難しいですが、面でグラデーションを考えた時にはいくつでも重ねることが出来る、つまりより性の多様性に近い考え方が出来るのではないかなと思います。

実際私がそうであったように、
「(自分の志向を表現する言葉は)既存のセクにはなくて、既存セクのいくつかの部分部分が重なったような状態」
という方はきっといるはずだと思う。

また、アンセクシャルについて話をすると
「そんな細かく分けなくてもいい」
とか
「細かく分けると余計に理解から遠のく」
といった意見を述べる方が時々居るけど、例えば500色の色鉛筆や
『ノンセク等々セクシャリティーの多様さは日本独特』
等のように、ちょっとした違いにも名前を付けるのは日本人独特の感性であり良い所でもあると思う。

で、例えば色の表現に関しても、”サムライ色”等という細かい色の区分の名前はあってもそれを日常生活で使っているか、若しくは使うかという話になるとそれはまた別問題で
「名前があるのだから使わなければならない」
という事はなく、また逆に細かい区分があるから日常生活に支障があるかと言えば実際問題何の支障もないという事実からしても、別に細かく区分をすること自体に問題はないと思う。





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性的指向のセクシャルについての考え方(2)

前回のブログで触れなかった性的指向のセクとして
「バイセクシャル」
というのがある。

これは前回触れた『パンセクシャル』・『ポリセクシャル』に比べれば認知度の高いセクシャリティであるかと思いますし、その意味としては
「男・女双方ともに恋愛感情や性的欲求を抱く」
という風に一般的に広く理解されていますし、実際wikiでもそのような書き方になってる。
両性愛wiki

ただ、厳密に見てこのバイセクシャルという語の「バイ」という言葉には『2つ(の)』という意味があり、その”2つ”が何を指すか指定はないはずなのに、実際意味としては「男女」を指す言葉として認識されてる。

個人的にもそれは「同性愛」・「異性愛」に対応する意味合いでつけられたのかなと思いますし、別にそのことについてとやかく言うつもりはない。

ただ、このブログのタイトルにもなっている通り”セクシャリティは無限大”ということを考えたときに、仮に
『「女性と中性」や「男性とFTM」』
という方々に対してのみ恋愛感情を抱いたりする方が居た場合、そのような方は自身のセクをどう表現すればいいのか?という疑問に直面することになるかと思います。
実際そこまで定義云々にこだわる必要はないですが、若し上記のような方々が自己定義を求めた場合に対応する表現が無ければ(これは私も似たような経験をしたけど)あまりいい気持ちはしないのではないかなと思う。

なので、私個人の理想としては以下のwikiにあるように、バイセクシャルの「バイ」の意味を男女に限定しない使い方が望ましいかなと思う。
性的志向wiki

ここで書いてあるように多様な組み合わせをバイセクシャル(両性愛)として表現できるようになったら、更にセクシャリティに関する考え方・理解は広まるんじゃないかなと思う。
考えようによっては上記のような男女以外の指向の組み合わせは多性愛とも取れなくもないけれど、実際リンク先で多性愛は「3つ以上の」という風に書かれているから定義に従うのなら該当しないことになるから、やはり両性愛の本来の「バイ」の意味に沿った認識とか使い方が必要じゃないのかなって思う。


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